2008年9月25日(水)
先ずは昨晩に行われたブッシュ大統領による緊急国民向けテレビ演説に物申す。 何としてもあの7000億ドル(1ドル=105円として73兆5千億円!)緊急経済支援策を議会で通したいみたいだけど「この法案が成立しなかったらアメリカ経済は完全に破綻!」とか「すぐに失業者だらけ!」とか「もう誰も家を買えなくなる!」とか、とにかく国民の不安を駆り立てて同意させようとする魂胆がミエミエ。これじゃ完全に脅しだよ。取って着けたように「この法案は特定の金融機関や個人を救済することを目的としていない。一般市民や個人事業主を救うのが目的だ」って言ってるけど、そんなん当たり前じゃん。連銀のバナーキンも財務長官のポールソンももっともらしい事を言って経済支援策の必要性を訴えているけど、全く信用ならんね。金融市場で信用不安が起こったのは去年の夏なのに、バナーキンは打つ手なく事態を放置、ポールソン至ってはゴールドマンサックスの前CEO、それまで散々キワドイことに手を染めてボロ儲けして、年収30億、40億円とか稼いでいたくせに、困ったら「税金で尻拭いさせたらいいじゃん!」なんて、オマエが言うなっつーの。そりゃさ、事態が深刻なのは理解できるし大規模な政策介入が必要なのも納得するけど、具体的な使途が未定なまま「7000億ドル必要です~、後でもっと必要になります~、あの子たち(金融機関)には後できつく言っておきますから、とにかくさっさとお金出してくださ~い」なんて言われて、「分かりました~」って素直に言うヤツいないって。 ******************************** ・・・コホン、気分を変えまして昨日の続きです。昨日はビザの問題が解決できず、結局新しいポジションに就くことができなかった(6月)というところまでお話したと思います。 7月になって学会の準備でますます奔走というか翻弄されている時に、ミネアポリスから衝撃的なニュースが飛び込んできました。詳しい説明は省きますが、ミネソタ大学で私が所属している(いた?)プログラムのDirector Jが突如引退を発表したのです。私だけではなく他のfacultyも院生にとってもみんな寝耳に水のことでした(これについてはまた後日書かせていただきたいと思います)。Director Jは引退宣言の1週間後には他州に引っ越してしまいました。困惑したのは残されたfacultyです。新学期から明らかに人手が足りません。新しいFacultyを採用することはできますが、時間的にみて新学期にはとても間に合いそうにありません。そこで白羽の矢が立てられたのが私、でした。DCエリアに来てからもミネソタ大学の友人とは常に連絡を取っていたので、私がビザの問題でこちらでの就職を失ったことも話していました。私はその当時まだ書類の上ではミネソタ大学に「雇用」されていたので、その契約期間を延長してとりあえず秋学期の期間2クラス担当してもらえないか・・・とのお誘いでした。 これとほぼ同じ時期に、DC市内にある某博物館からもあるお誘いをいただきました。その博物館は、昨日お話した研究機関で「ボランティア」をしていた時に何度か資料を観に訪れていたのですが、私の事情を知ったcuratorの方が博物館所蔵の日本関連資料を使って研究をしてみないかと声をかけてくれたのです。その博物館には日本語を理解できる人が全くおらず、かなりの点数の日本関連資料を所蔵しているにも関わらず、きちんとした整理もされぬまま長年誰の目にも触れることなくほぼ放置されていました。今回その博物館が3年後に新しい建物に移転することが決まったそうで、その移転準備の一環として未整理資料の整理・保存を行うことになったようです。博物館は私を「雇用」するのではなくfellowshipという形で資金を提供してくれ、私はそのお金を使って博物館所蔵資料を用いて研究活動を行う傍ら資料の整理にも協力する、というお話でした。 二つのお誘いをいただいて、私が下した決断と言うのは「ミネアポリスとDCを行ったりきたりする」というものでした。1週間のうち2日をミネソタ大学でのteachingにあて、残りをDCの博物館での研究に充てようと考えたのです。私がミネアポリスにいた時にいつも良くしてくれた同僚たちのために少しでも力になりたい、これでちょっとは恩返しができるとも思いました。クラスは1クラス当たり12回で約3ヶ月、ミネアポリスとDCは飛行機で2時間なので往復しても体力的にも金銭的にもそんなに大変なことではないと思いました(ミネソタ大学からは交通費援助も取り付けましたし)。でも、結論から言うと・・・この計画が実行に移されることはありませんでした。こちらの日記でもお話しましたように、癌が見つかったからです。最初は7月末に手術すればそれで全て終わる、手術から新学期開始まで1ヶ月以上あるからその間に体力も回復するはず、と思っていたのですが、本当に明日のことは分からないもので、手術は成功せず、継続して治療を受けなければならなくなってしまいました。どう考えても毎週ミネアポリスとDCを行ったりきたりするのは今の私には難しいと判断せざるを得ませんでした。 ミネソタ大学の同僚たちにはかえって大きな迷惑をかける結果となり、本当に申し訳なかったです。一度は「二クラスできるよ~任せておいて~!」なんて返事していたのに、「ごめ~ん、やっぱりできな~い」と約束を反故にしてしまったのですから。本当に、本当に申し訳ない気持ちで一杯です(同僚Jと同僚J、ごめんなさい)。さらに申し訳ないことに、一度はクラスを引き受ける返事をしてしまったせいで私の雇用を継続する手続きは終了してしまい、さらには既にどこからかお金を引っ張ってきてしまったようで、新学期からもこれまでと同様、私はミネソタ大学のポスドクとしてお給料をいただく身分となってしまいました・・・(とは言ってもteachingがない分、金額は微々たるものなのですが)。大学院生二人が私の「論文指導クラス」に登録しているのでそれで少しはご奉公したいと思っています。ってこれできちんとした仕事をしないと単なるサギですよね・・・(恥)。 と言うわけで、今誰かに私の身分(affiliation)を尋ねられれば「ミネソタ大学のPostdoctoral Associate かつ某博物館のVisiting Research Associate」と答えることになります。最近は週に3,4日ほど博物館に通う毎日です。博物館内の自分のオフィスで過ごすのが半分、残り半分は倉庫で埃のかぶった資料と格闘するのが半分、というところでしょうか。博物館の名前を伏せる必要はないかもしれませんが、ミネアポリスと違ってこちらには日本人がたくさん住んでいるので、人物特定につながる情報を公表するのにちょっと抵抗があります。でもそのうち我慢しきれず(?)白状するかもしれませんが(笑)。それにしても今までartifactsを扱った研究をしたことがないので、なかなか研究の方向性を見出せずウロウロしています。でもこういう時こそ新しいアプローチ・題材に挑戦するチャンスだと思はなくてはなりませんね。引き出しを増やす時間があるといのは研究者として恵まれていることだと思います。まぁ、すぐ論文として成果が上げられるかどうかはナゾですが・・・。
by itoaki
| 2008-09-26 01:16
| Washington DC編
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