2008年4月24日(木)
日本からやって来ていたitoaki母が昨日帰っていきました。2週間に及んだ私のmother-sittingもようやく終了、ホッと一息ついているところです・・・って、こんなこと書いているのが見つかったら怒られるかな(笑)。振り返って見ると、高校を卒業して札幌の実家を離れてから早や十数年、母と一緒に暮らした時間は私の人生の半分以下ととなってしまいました。もちろん最低でも一年に1回は結構長めに帰省していますし、普段からコマメに電話やメールで連絡を取り合っていますが、それでも今回のように母がわざわざ日本から訪ねて来てくれてまとまった時間を一緒に過ごせるというのはとてもうれしいですし、とてもありがたかったです・・・ヤバイな~ちょっとしんみりしてきた。母が帰った直後でちょっとホームシックが入ってるかも(照)。 実は今、今年7月に同じくメリーランド州にあるジョンホプキンズ大学で開かれるかなり大きな国際学会のlocal committee member をしています(こう書くとなんだかエラそうですが、要は体のよい雑用係ですね・苦笑)。学会を目前に控えて日本からの参加者との連絡、他のメンバーとのミーティング、果ては足りない資金のfund rasing やらfield trip/excursion の準備など片付けなければならない仕事が山積しているのですが、itoaki母の滞在期間中は他の仲間たちに頭を下げてそれも全部一時中断、itoaki母と一緒になってとにかく全力で!遊びまわっていました。それに、私がミネアポリスからDCエリアに引っ越してきてちょうど2ヶ月が経つのですが、itoaki母が来るまでは観光地らしい所には一切足を運んでいませんでした。大学院生時代に数回ワシントンDCを訪れていて主要施設はもう既に見学済みだったのと「どうせいつでも行けるや」という気安さからでしたが、itoaki母にとっては初めてのワシントンDCです。日本から取り寄せた『地球の歩き方』を片手に思いっきりオノボリサンしてみました。結構楽しかったですよ~。 というわけで、しばらくはitoaki母と訪れたワシントンDCの名所などをご紹介していきたいと思います・・・・・・と思っていたのですが、その前にどうしても気になる事件を一つだけ、今日は先に紹介させてもらおうと思います。 4月20日付けWashington Post 紙にその前日19日にワシントンDCの中心地the Mall で行われたデモ行進についての記事が掲載されていました。そのデモ行進を行ったのはNational Socialist Movement というアメリカ最大とも言われる極右ネオ・ナチ、白人至上主義団体で、主に「ユダヤ系、有色人種、ホモ・セクシャルにアメリカ市民権を与えずに白人によるアメリカ国家建設を目指して活動しているそうです。まぁいつの世にも、どの国にも経済が悪くなればこの手の人種差別主義者は多くなるものです。今回のデモ行進の目的は「不法移民排斥」に関するアピールだったようですが、彼らにしてみると今のアメリカの抱える問題は全て移民のせいなのでしょう。 記事を読んで面白いなと思ったのは、この団体がホワイトハウスの1ブロック先からキャピタル(連邦議会議事堂)まで行進し、そこで集会を開くために事前に所轄にあたるUS Park Policeに集会を行う計画を申請し、事前に許可を得ていたこと。もちろん民主主義国家では言論の自由、集会結社の自由は基本的人権として保障されているはずで、この団体だけがデモ行進や集会の開催を許可されない理由はありません。でも、たとえば日本で極右団体が街宣車を集めて国会議事堂前で集会を行う・・・なんてやっぱりちょっと考えられません。この点さすがデモクラシーを国家の至上命題として掲げるアメリカと言えるでしょう。もちろん首都ワシントンDCのそれもthe Mallというど真ん中でネオ・ナチが集会を行うとなればそれに対する抗議活動や報道陣などが集まり周囲が混乱するのは必至で、当日は機動隊や警察が大量動員され、デモ行進者の警護に当たっていました。DC警察当局は警護に当たった警察官の人数を正式には発表していませんが、この行進を目撃していた人の話によると数百人規模に及んだようです。デモ行進者30名に警護が数百人、傍から見物していた人はきっとデモ行進者の姿が確認できなかったことでしょう。 デモ行進に抗議し阻止しようとした人たちが警護にあたった警察官と争い、最終的に5名の逮捕者がでたそうです。でもきっと警察官のなかには極右団体を警護するという業務命令に従いながらも苦々しく思っていた人は多かったと思います。DC市内(大都市圏であればどこでも)の警察官に極右団体が言うところの有色人種が占める割合は非常に多く、当日も多くの非白人警察官が配置されていたと思います。まさかDC警察が白人の警察官だけ動員していたとは考えられませんし、もしそんなことをしていたらそれこそ彼ら極右団体と同様の人種差別になってしまいます。Washington Post の記事は、デモ行進を見物していた少年(少女)が黒人警察官に白人至上主義者を警護する心情について尋ねたエピソードで締めくくられていました。表情を変えずに業務を追行していたその警官は「誰でも言論の自由を持っている。憲法で保障されている。」と答えたそうです。 2008年4月10日(木)
本日、こちらのブログでもおなじみ(?)のitoaki母が日本からやってきます。ミネアポリスを離れシルバースプリングに引っ越してきてから1ヶ月ちょっと、新居に迎える初めてのお客様です。ミネアポリスにいた頃に何度も遊びに来るように誘ったのですが、一度も関心を示してくれたことはなく、去年こちらの日記でご紹介したグランドサークル旅行の時も結局ミネアポリスまでは足を伸ばさずに帰っていきました。そんなitoaki母に「ワシントンDCに引っ越すことになった」と昨年末の一時帰国の際に告げたところ、年明けすぐにワシントンDC行きのチケットを購入!すばらしい行動力でした。どうもワシントンDCが彼女の琴線にふれたようです。やはりミネアポリスって、一般的な日本人の感覚からするとわざわざ長時間フライトを我慢して遊びに行きたいと思えるほどの場所じゃないんでしょうね・・・。冬でなければミネアポリスは過ごしやすく美しい町なのに、一度も来てもらえなくてちょっと残念です。 itoaki母がやって来るということで、昨日は朝からあちこち掃除したり片づけをしたりしていました。私は普段から部屋のなかはきちんと片付けていて突然の来客にも耐えうる方なのですが(その反動なのか研究室はいつも小汚い・笑)、itoaki母はそんな私のさらに上を行く完璧なまでの整理整頓好き・掃除好きなのです。彼女から掃除について合格点をもらうのは至難の業なので、昨日は通常の掃除に加えてリビング、ダイニング、ベットルームの窓ガラス磨き、冷蔵庫掃除(未だ使い始めて1ヶ月少々新品同然だけど、念のために)、洗面所シンクの漂白、さらにはいつもは洗いっぱなしで使っているベットカバーやシーツにアイロンもかけました。これで2週間、大人しく過ごしてもらえるといいのですが…。いえ、以前大学院生の時、私が授業に行って留守にしていた間、遊びに来ていたitoaki母が観光にも行かず私の部屋の大掃除+模様替えをしていたことがあったのです(ちなみに近所の電気屋さんでクーラーも注文してくれてました)。あれにはびっくりしたな・・・だってドア開けた時に部屋を間違えたかと思ったんですよ! itoaki母はグランドサークルの旅行の時はもちろん、それ以前にも何度かアメリカ(ハワイ・グアムを含む)に来たことがあります。でもいつも誰かと一緒に旅していて、一人でアメリカにやってくるのは50+α才(本人に承諾を得てしないので伏せさせていただきます)にして始めての経験です。しかも私同様JAL派なので、ANAなら成田~ワシントン・ダラス国際空港の直行便があるというのに、わざわざシカゴ経由でやってきます。英語が全くダメな、50+α才にして初の海外一人旅のitoaki母が、あの巨大なシカゴ・オヘア空港で迷わずワシントンDC行きの国内線に乗り継ぐことができるのか……母娘で逡巡した結果、答えは「否」、私が行きの片道だけシカゴまで迎えにいくことになりました。大丈夫だとも思ったんですけど、「ちゃんと飛行機ついたかな~今頃迷子になってないかな~」とずーっとはらはらドキドキして待ち続けるくらいなら、飛行機で2時間、さっさと迎えに行ったほうが精神的に楽だと判断しました。 というわけで、これからシカゴに行ってきます。母を迎えに行きがてら案内したいところもあるので、周辺で2泊してくる予定です。実は今週末ちょうどワタクシの誕生日なので(もう全然オメデタくないですね~)、今年はシカゴで一つ年を取ることになりそうです。それにしても久しぶりの中西部…なにやらまだ寒そうなのがちょっと心配です…。一度クローゼットにしまいこんだ冬物コートを再び引っ張り出してみたのですが、ひょっとすると手袋もまだいるかな?シカゴ周辺のみなさま、最近はどんな服装ですか? それでは、行って参りま~す! 2008年4月9日(水)
少々以前のことになりますが、今年2008年4月4日はワシントンDCと非常に結びつきの深いある出来事の40周年記念日でした。何の日かお分かりになる方はいらっしゃいますか・・・日付だけならちょっと難しいかもしれません?40年前の1968年4月4日、アメリカ公民権運動の指導者Martin Luther King, Jr. がテネシー州メンフィスで暗殺されました。それから40年が経ったこの日、ワシントンポストをはじめとする地元紙は、当時の出来事を振り返る記事を数多く掲載しました。ちなみにアメリカではKing氏の誕生日(1月15日)に近い1月第3月曜日を祝日としていますが、個人の業績を称える記念日ならば本当なら誕生日よりも死亡した日の方がふさわしいように思えます。King氏のように自らの政治的信念や信条を貫いたがために暗殺された人物であればなおさらそう思うのですが、やはり誰かが死んだ日を祝日にするのはやっぱり抵抗があるのでしょうか。 King氏とアメリカの首都ワシントンDCとの結びつきと言って真っ先に思いつくのが1963年8月23日に行われた「ワシントン大行進(The March on Washington for Jobs and Freedom)」でしょう。1950年代半ばから人種差別撤廃運動を展開していたキング牧師の呼びかけに応じ、この日全米各地はもちろん世界中から人種差別撤廃を支持する人たちがワシントン記念塔に集結しました。その数20万人、集まった人々の前でキング牧師は'私には夢がある(I have a dream)'でおなじみのあの演説を行います。私と同じ世代の方なら中学校の英語の教科書で演説の一部を読んだのではないでしょうか。今改めて全文を読み直してみると、誰にでも理解できる非常に簡易な英語で書かれ、さらに耳に残りやすい独特のリズム感を伴っているのが良く分かります。言葉は生きている、言葉は人を動かす力であることを教えてくれる演説です。ワシントン大行進の翌年、国内世論の高まりを受けてついに公民権運動の最大の成果ともいえる「公民権法(Civil Rights Act)」が制定されます。 ワシントン大行進をキング牧師の人生の頂点と位置づけるならば、キング牧師とワシントンDCとのもう一つの結びつきはある意味皮肉であり、悲劇的であります。1968年4月4日、キング牧師がメンフィスで暗殺されたニュースが伝えられると、瞬く間に各地で暴動が発生します。牧師を失った悲しみを怒りへと変えた黒人たちが暴動が起こしたのは全米120箇所以上に上り、そのうち被害の最も大きかった町の一つがワシントンDCでした。ワシントンDCは当時から黒人が集中して住む「ゲットー」と呼ばれる地域がダウンタウン周辺に点在していて、暴動は「ゲットー」から広がっては付近の建物の焼き討ちや打ち壊し、主に白人が経営する商店の略奪へと発展していきます。ワシントンDCにはすぐに非常事態宣言がひかれ、1万3千人もの警察官が出動して暴動を鎮圧しようとしましたが群集を制止することはできず、暴動は3日間続きました。当時の記録によると暴動による死者は13名、1000人以上が怪我をし、数百件の建物が焼き払われました。キング牧師は生前一貫として「非暴力主義」を唱えていたのに、牧師の死がワシントンDCで暴力の連鎖を呼び起こしたというのは皮肉なものです。 4月6日付けワシントンポストの記事'From Ruin to Rebirth in D.C.'によると、ダウンタウンを中心とした3ヶ所はこの暴動により特に壊滅的な被害を受けたそうです(記事ではそのエリアをriots coridorと呼んでいます)。あまりの被害の大きさのため商業施設は鎮圧後も営業を再開することなくそのエリアを去ります。暴動後も残ったのはもともとそこに住んでいた貧しい黒人のみだったため、本格的な再建は行われないままそのエリアは何十年も復興せずに取り残されてしまいます(当時暴動に加わった人々は自分たちのコミュニティーの破壊に走ったことになり、これも皮肉な話です)。状況が変わったのは1990年代になってから、ワシントンDCが税控除政策を打ち出して民間投資を中心とした都市再開発を積極的に後押しするようになると、もともとダウンタウンに程近い好立地条件だったriots coridorに大手ディベロッパーが目をつけます。暴動が始まってから約30年後のことでした。riots coridorは今ではレストランやショップ、大型コンドの並ぶおしゃれなエリアに様変わりしています。 もちろん、riots coridor の再開発に関わったのは白人を中心とする大手資本。再開発の利益をもっとも享受したのも資金のある白人層でしょう。暴動後インフラ設備も整わないなか、それでも他に行く場がなくriots coridor に住み続けた黒人貧困層は、賃料の高騰を受けて徐々にこのエリアに住めなくなっています。キング牧師は思い出の地ワシントンDCの「Rebirth」をどのような気持ちで見ているでしょうか?牧師が夢見た日に近づいたのでしょうか?自由の鐘は今も鳴り続けているのでしょうか? 2008年4月7日(月)
先週ひーひー言いながら応募した学会報告が二つともaccept されたとメールが届きました。 う、うれしい・・・うれしいんだけど、あのアブストラクト、大風呂敷を広げたんだよね…。 あれ、報告要旨というよりか、「想像」、「戯言」、「妄想」に近いような…。 まだオチないし・・・どうやって最後まとめようか。 これは学会までの数ヶ月、かなり気合を入れて準備しないとオオヤケドを負う可能性が濃厚です(悲壮)。
2008年4月4日(土)
今週月曜、木曜と二つの学会報告(abstract)を抱えていました。この日が締切日だということも、二つの締め切り日が近いということも、もう何ヶ月も前から分かっていました。なのに直前になるまで全くヤル気が起きず・・・相変わらず私のお尻にはなかなか火がつきません(しかも土曜日には花見に行ったりしてましたし…不燃物お尻の持ち主です)。月曜日の締め切りの方はまだ若干時間に余裕を持って当日朝には提出できたのですが、木曜日にいたっては最後の最後まで納得のいくタイトルが思い浮かばず、とうとう日付の変わる30分前に半ばヤケクソ気味でポチっと送信してしまいました(反省)。どうも最近「締め切り日」という言葉が「その日までに提出すること」→「その日に提出すること」と勝手に脳内変換されているような気がします。一度イタイ目にでもあわないと、この変換ミス(?)は直りそうもありません。 ちょっと余談ですが…学会報告に応募する際のabstract って、日本では学会によって色々な呼び名があって面白いですよね。私が所属する学会だと「要旨」もしくは「要約」と呼ばれていましたが、英語をカタカナ表記した「アブストラクト」や「サマリー(summary)」、「抄録」というのもあるみたいです。私自身は英語だとabstract 以外に使われているのが見たことがないのですが、例えばsummary を使っているジャーナルや学会などもあるんでしょうか? さて、学会報告にしろ、論文執筆にしろ、しっくりくるタイトルが思い浮かばないというのは、研究が上手く捗っていない証拠です。これから向かうべく方向性が絞りきれていなかったり、もしくはあちこち手を広げてみたものの収拾がつかなくなっている時になど、タイトル選びに苦労します。通常タイトルには研究上のキーワードが含まれることがほとんどですが、自分の研究の要点が自分で理解できていないから何がキーワードとなるのかが分からない→タイトルが浮かばない、のです。これとは逆に、それまでだらだらと資料収集ばかり続けていたのが、ある日ふとタイトルがひらめいて、それとともに研究の方向性がはっきりと見えてくることもあります。もちろんジャーナルなどによっては博士論文のようにお堅いタイトルしかつけられない雰囲気のものもありますが、できればちょっと捻りの効いた遊び心のある、読者が読み進んでいくうちに「なるほどね~あのタイトルはここにひっかけてあったのか」と思うようなタイトルをつけたいと思いつつ・・・ま、なかなかそんな風には上手くいかないんですよね~。 今回の場合、良いタイトルの思いつかない報告というのが実は全くの「新ネタ」なのです。完全未発表、まだまだ資料収集の段階のうえ手持ちの資料も消化しきれていないような状態です。自分でも学会報告をするにはまだちょっと早いような気もしたのですが、①学会報告という期日が設定されることで否が応でも研究を進めざるを得なくなる、②多少未不出来な報告でもオーディエンスから有益なフィードバックがもらえるかもしれない、と考えて挑戦することにしました。さらにもう年明けから4ヶ月も経ってからこんなこと言うのも何ですが、今年2008年は去年よりも積極的に学会報告をこなすことを目標の一つにしています。アメリカに来て最初の年だった2006年はかなりあちこちの学会やらカンファレンスやらで頻繁に報告していたのですが、報告の準備に追われてしまって肝心の論文執筆にまで至らず仕舞い。その反省から2007年は報告の回数を抑えてその分論文を書くことに専念しようと思ったのですが、期待していた以上に生産性は上がらなかったうえ(単に怠けていただけかも?)他の研究者とのネットワークや出会いにあまり恵まれませんでした。この過去の反省から学会報告と実際に論文を書くと言う作業のバランスをどう取るか、学会報告の成果を論文にいかに結びつけるか、これを今年の課題にしたいと思っています。 ・・・と、エラそうな能書きをたれていますが・・・なにせabstract を提出したのが昨日のことなので、まだaccept れるかどうか(=報告させてもらえるかどうか)分かりません。何せ未成熟な新ネタなので却下の返事が届く可能性もあります。3年に一度しか開かれない大規模な学会なのでできれば報告したいですが、こればっかりは神様にお願いしても無駄、board member のみぞ知る、です。とりあえず今はaccept されるのを信じて少しでも研究を進めておいて、報告のその日が来たら今度はもっと時間に余裕を持って仕上げられるようにしたいです。 2008年3月28日(土)
<初めにお断りです> 本日の日記は変則的に3回に分けて「その1~その3」をupしております。なぜこんな面倒なことをしたかと言いますと、理由は写真です。先日新しいPCを買ってから今日初めてデジカメの画像を取り込んでみたのですが、Windows Vista に強制的についてくるWindows Photo Gallery の使い方がイマイチ理解できず、画像をリサイズしようとしても全然できないんです(涙)。Windows XPだとリサイズ機能があるのでVistaにないはずはない!と信じて、かれこれ2時間ほどあちこちいじっているのですがどうすれば良いのかさっぱり分かりません・・・。私が見落としているだけで簡単な操作なんだろうか・・・(もしご存知の方がいたらぜひ教えてください!)。リサイズしないで写真をブログに掲載しようとするとデータ容量の関係で1枚しか収まらず、とりあえず今日は応急措置として3回に分けてupしてみることにしました。どうぞご容赦おば。・・・それにしてもVista、ややこしすぎる・・・。 ********************************* (さて、気を取り直して・・・) 本日ワタクシ、3年ぶりにお花見に行って参りました! 思い起こせば、最後にこの目で桜を見たのは2006年3月にダウンタウン・ミネアポリスのMarshall Fields(現Macy's)であったflower showのこと。あの時は桜が見れるなんて期待せずに出かけたのに桜を使ったアレンジがあって、何だかとってもうれしかったのを覚えています。でもやっぱり日本人ならば、この時期桜並木をのんびりお散歩したり、夜桜を眺めたり、もしくは桜はソッチノケで昼間から堂々と一杯飲んだりしたいものです。そんなわけで今日行ってきたのがこちら↓。 ![]() Tidal Basin とWest Potmac Park に広がる桜並木です ![]() 地図では③Jefferson Memorialのある所がWest Potmac Park で、その隣にある窪んだ池のようになっているのが(池と言っても正確にはPotmak River の一部ですが)Tidal Basin です。1912年当時東京市長だった尾崎行雄が日米友好関係のシンボルとして桜の苗木1200本を贈り、それがここTidal Basinに植樹されました。とは言っても最初の苗木は検疫によって害虫が指摘され、港で焼却処分されてしまったそうで、その後第二陣として送った3000本の苗木が無事受け入れを認められたのだとか。検疫っていつの時代も厳しいものですね。戦後にも大規模な植樹が行われて、現在5000本以上の桜並木が広範囲にわたり連なっています。これだけ一箇所に桜が集まって咲く場所は、日本でも珍しいのではないでしょうか?(→続く) 2008年3月28日(土)
(お花見その1からの続き) 先週末に開花した桜、木曜日、金曜日と暖かい日が続いたせいか、今日は八分咲きから木によってはほぼ満開に近い状態でした。ここ2週間ほどの間、毎日テレビや新聞などのマスメディアやネットで桜の開花状況が連日紹介されていたせいか、満開が予想されていた今日は朝から大勢の人が桜見学に訪れていました。私は人混みを避けてゆっくりお花見がしたかったので、がんばって早起きして朝8時ごろにTida Basin にl到着したのですが、それでもかなりの混雑ぶりでした。それだけポトマック川の桜はワシントンDCの人々に愛されている証拠で、桜が好きなのはどうやら日本人だけではないようです(←花を美しいと思い、慈しむ気持ちは万国共通なので当たり前って言えば当たり前のことなんですが)。 モールからTidal Basin 沿いの道を反時計周りに進んでいくと、Jefferson Memorialの白い建物が見えてきます。数年前に一度真夏の時期に訪れたことがあったのですが、桜の時期に改めて来てみると周囲の景色は一変していました。 ![]() Tidal Basin の桜はソメイヨシノなのですが、どうも日本で一般的に見るソメイヨシノよりも若干濃い目のピンク色をしています。個人的にはほのかでちょっとはかなくも見えるあの淡いピンク色が好きなのですが、でもこうして水と空の青と建物の白さとのコントラストで考えると、このくらい濃い目のピンクの方がと際立って見えるのかな、と妙に納得してしまいました。ソメイヨシノがこの地に来てもう100年近く、桜も周囲の環境に合せて進化しているのでしょうか?(→続く) 2008年3月28日(土)
(お花見その2からの続き) Jefferson Memorial まで来るとTidal Basin も約半周、ここからは対岸にそびえたつLincoln Memorial がはっきりと見渡せます。 ![]() 写真はご紹介できませんでしたが、今日はLincoln Memorial の近くでNational Kite Festival というイベントが行われていて、競技の参加者以外の人もみんな思い思いに凧をあげていました。私もミネアポリスにいた頃はたまにピクニックがてらにComo park で凧あげしていたので、仲間に入りたかったです・・・こんなことならmy 凧を持参しておけばよかった!桜の木の上をゆらゆらと舞うように飛んでいく凧、何だかとっても気持ち良さそうでした(余談ですが…Lincoln Memorial からWhite House って数ブロックしか離れていないのですが、セキュリティーの観点から凧あげに関する高さ制限なんてないんでしょうかね?)。 気温10度前後とお花見をするにはちょっと肌寒い日でしたが、あちこちのんびり歩きまわりながら久しぶりの桜をすっかり堪能しました。今日の花の開き具合から考えると、雨さえ降らなければ来週末まで持ちそうなので、もう1回くらいお花見に行ってこようと思います。今度は散り始めの桜が楽しめるのを期待しています。それに今日やり残したこともあるし…。実はうっかりしてお財布の中に現金が3ドル(!)しかないことを忘れていて、屋台で売っていたJapanese beer を買い損ねたのです(サッポロビール飲みたかった~)。やっぱり桜って、ちょっとホロヨイかげんで眺めるのが一番美しいと思うのは私だけでしょうか?
2008年3月25日(火)
itoaki@今日もシルバースプリングです(引っ越したんだから当たり前なんですが…)。 今日は前回に引き続き言い訳の後半戦です(笑)。言い訳の前半戦がどちらかというと「大変だったけど、どうにかなった/何とか間に合った」話ばかりでしたが、実はこれからお話する後半戦にに関してはongoingと申しますが、今も引き続けき私を悩ませている問題ばかりなのです…ということで、半分愚痴・泣き言が入るかもしれませんがどうぞご容赦をば(←それにしても言い訳、愚痴、泣き言の3点セットって、そんなの誰も聞きたくないような…苦笑)。 先ず引っ越してきて10日後、愛用していたノートパソコンのパソ子がぷつりと動かなくなりました。こちらの日記でも何度かコボしていましたが、パソ子には前からちょっと動作不安定なところがありました。でも、ある日突然何の前触れもなくwindowsが立ち上がらなくなるとは思っていませんでした…保存されているデータ、一切見ることができません(涙)。しかもパソ子が動かなくなった日というのが、前から申し込でいたverizonのインターネットがやっと開通した日で、そのルーターのセットアップをしていた最中だったのです。「PCが使えないのにネットだけ開通したって意味ないじゃん!」って思わず一人部屋の中で叫んでしまいました。それしても右も左も分からない新しい土地に引っ越してきて、ネットが使えないというのは本当に不便なものです。USPSから不在通知が届いていても、どこに郵便局があるのかも分からず電話帳と地図とにらめっこ。もう20世紀には戻れません。 結局、あれこれ試してみてもその後もパソ子(正確に言うと電源は入るもののwindowsが起動しない)は立ち上がる気配を見せず、仕方がないので近所のBESTBUYにて新しいPC一式を購入する羽目に。ただでさえ引越しで何かとお金がかかったいうのに、ホント余計な出費でした(その他現在放置中のパソ子の処置にもまたお金がかかりそう・・・涙)。でもこのPCのトラブルもこの次に私を襲った悲劇に比べれば小さなものでした。 次に私を待ち受けていたのが、アメリカで働く外国人には最大の難問であるビザのトラブルでした。詳しく書くとややこやしくなるのでちょっと省かせていただきますが、実は去年からミネソタ大学を離れることを視野に入れて滞在資格の変更を移民局に申請していました。私のビザ・スポンサーはもちろんミネソタ大学なので、ミネソタ大学を離れ次の仕事に着くためにはビザの切り替えをしなくてはなりません。ただ私の場合、ちょっと事情が色々と複雑になってまして、こうしてミネアポリスを離れた後もポスドクとしての契約は5月末の2007-2008年academic year終了まで継続(=お給料がもらえている)されることになっています(今まで本来teaching義務のないポスドクがクラスを受け持っていた関係上の処置です)。なので当分ミネソタ大学は私のビザ・スポンサーのままです。 ここまでは良いのですが、問題は労働許可についてなのです。と言うのも、滞在資格が変更されれば労働許可も下りてミネソタ大学以外で労働できるようになりますが、逆に言えば滞在資格の変更が認められるまではミネソタ大学以外では「合法的」に働けません。なのでワシントンDC行きが決まりかけてきた去年秋口から、この変更手続きが終わるのを首を長~くして待っていたのです。申請手続きの最終段階が移民局による面接となっているのですが、それがやっと3月某日に決まったという通知をもらったのが1月初め。まだ引越し前にだったために面接場所はミネアポリス(正確にはBloomington)と指定されてしまっていたのですが、それでもこれで変更手続きが終わるならと、ワシントンDCからミネアポリスへの飛行機とホテルを予約して、ひたすら面接の日が来るのを指折り数えて待っていました…。待っていたんですよ、ものすごく待っていたんです、待っていたのだったのですが、何と面接日の1週間前に突然移民局からキャンセルの手紙が届いたのです。パソ子が壊れてから2日後のことでした・・・。 手紙にはただ'This is to advice you that, due to unforeseen circumstances, we have canceled the previously shceduled interview on...'と書いてありました。まさか面接の日程がキャンセルになるなんてことが起こりうると思っていなかったので、こんな簡潔な英文なのに内容がなかなか頭に入ってきませんでした(今にして思うと頭が内容を理解するのを拒んでいたのだと思います)。でも何度読んでも「予想外の事情で予定していた面接をキャンセルします」って書いてあるんですよね・・・。いや、これには泣きました。もう大泣きです。あんなに長いこと待たされて、やっと来たと思った面接がキャンセル。この面接が済まない限り、こちらで働けないのです。やりたい仕事があっても、仕事のオファーがあっても働けないのです。お給料はまだミネソタ大学からいただいているので経済的に困るわけではないのですが、働けないとなったら一体何をすればよいのでしょうか?どんな事情があったか分かりませんが、移民局のせいでせっかくのチャンスを逃してしまうかもしれないと思うと悔しくてたまりませんでした。 まぁ相手は移民局、どんなに泣いたって無駄なので、元々見切り発車でこちらに移ってきた自分が軽率だったと自分を諌めるしかありません。ただ面接の日程はずいぶんと前に知らされていたので(1月上旬)面接を受けたら即日働けるようになる、それまでは生活の立ち上げやあちこち顔を出して新しいプロジェクトの準備を進めておけば時間的にちょうど良いと、面接が予定通り行われる前提で全ての計画を立てていました。でも、そんな予想や予定や希望は全部消え去りました。今現在、まだ次の面接のスケジュールは知らされていません。「今日こそ移民局から通知が届いていますように」と祈るような気持ちでメールボックスを覗く毎日です。 と、後半戦はこんな感じです・・・改めて書き綴ってみてもかなり精神的にヤラれている自分がます(暗)。 でも今日、うれしい出来事もあったのです。引越しの時にミネアポリスから細心の注意を払って運んだジャスミンの鉢植え、今朝いつものように葉水をあげていると、ぷっくり膨らんだ白い蕾を三つ発見したんです!まだ3月だというの春の陽気に惑わされたのか、もう花が咲き始めてしまいました。こちらの暖かい気候と日当たりの良さがお気に召したようで、ここ数日にょきにょきとツルを伸ばしていたのですが、まさか花までつけるとは…去年ミネアポリスでは夏に咲いてたんですよ~。今年もたくさんの花をつけて、甘い香りで楽しませてもらいたいものです。
2008年3月22日(土)
(恐る恐る)た、ただいま・・・。 どなたかいらっしゃいますかぁ・・・。 ・・・・・・(し~ん)。 えと、itoaki@メリーランド州シルバースプリングです。 長らくご無沙汰しておりましたが、みなさんお元気でしたか? ほんとっにすっかりご無沙汰してしまっていて(2ヶ月も!)、自分のブログだというののこのこ戻ってくるのがかなり気まずかったです。この気まずさと言ったら、大学時代に徹夜でマージャンをした朝帰りの時以来でしょうか?私のアパートの近くには関西では超一流と言われる中高一貫の男子校があったのですが、朝帰りするたびに徹夜明けでヨレヨレの私の横を、いかにも賢そうでしかも育ちの良さそうな、なにより将来の希望に満ち満ちた少年たちが颯爽と追い越していったのです。そのうちすぐ大学生になるであろう彼らに「お酒とマージャンはほどほどに。あと、友人は選べよ(←自分の堕落した生活を友人のせいにしていた)。」とよく心の中で声をかけたものでした…。 って、何の話をしてるんでしょうか?最初から思いっきり脱線してしまいました(笑)。 前回1月24日の更新時に「営業再開」と復活宣言をしましたように、日本一時帰国から戻ってからブログは通常通り続ける予定だったのですが、それから2ヶ月本当に色々なことが起こりました・・・。ミネアポリスに帰ってきた途端インフルエンザが発症して1週間寝こだり(昨年末予防接種を受けていたんですけどね)、その後督促メールに怯えながら締め切りを過ぎてしまった論文や学会報告書と格闘したり。まだ病み上がりで仕事であっぷあっぷしている中、それと平行してワシントンDCでの部屋探しもしなくてはなりませんでした。部屋探しに関しては土地勘がほとんどない上に、仕事のために現地に下見に行くこともままならず、最後はほとんどギャンブル状態、ネットで見つけた貸しコンドを写真4枚見ただけで「えいっ!」契約してしまいました。後でオーナーCには「下見もしないで突然『契約したい』だなんてメールを送ってくるから、最初は新手の詐欺だと思った」と言われてしまいました(笑)。 新居が決まってから1週間後にはもうミネアポリスを離れなくてはなりませんでした。ミネアポリスに来てから2年と4ヶ月、色々な人との出会いがあり、思い出の場所もたくさんあったのに感傷に浸る時間なんて全くありませんでした。最後の1週間はひたすら引越し作業で過ぎていきました(本とCDだけで39箱もあったんですよ~)。時々胸に込み上げる別れの寂しさだとか新生活への不安は引越し荷物と一緒にダンボールに詰め込んで、友人たちとはまるで明日また会うかのように笑顔でお別れしました。・・・いえ、昔から湿っぽいお別れが苦手なのです(苦笑)。本当は今までこちらに遊びに来てくださったみなさんへの感謝の気持ちを込めて「ミネアポリスつれづれ日記オフ会」を大々的に企画・催行したかったのですが、それができなかったのが一番の心残りです(← って誰もこなかったりして)。 そんなこんなでバタバタしながら新居地メリーランド州シルバースプリングへやって来たのが2月19日でした。「シルバースプリングってどこ?」と思われる方もいらっしゃると思うので、こちらをどうぞ。 今までワシントンDCとご紹介していましたが、交通の便、治安、家賃相場などを色々考えて、ワシントンDC郊外のシルバースプリングに住むことにいたしました。私の住んでいるコンドは地下鉄(ワシントンDCエリアではメトロと呼ばれています)の駅から徒歩5分なので、DC内はもちろんどこへ行くのも地下鉄で移動できて非常に便利です。一か八かで決めたコンドも、実際に行ってみるとエキチカながら非常に静かで環境が良く、おまけに思っていたよりも部屋が広くて「ふっ、勝ったな」(←誰に?)とほくそ笑んでいます。 と、まぁ部屋探しと引越しは時間に追われながらも何とかこなしてきたのですが、引越し後にもあれこれ予想外のことが起こったのです・・・。実際、引越しした後の方がホント大変でした(涙)。というわけで「ブログの更新ができなかった言い訳」後半戦に続くのでした…。 < 前のページ次のページ >
|
カテゴリ
このブログについて
Minneapolis編 Washington DC編 日本一時帰国編 旅行記 トルコ編 旅行記 ロンドン・リーズ編 旅行記 インド編 旅行記 Grand Circle編 旅行記 フロリダ・マイアミ編 最新のコメント
以前の記事
2009年 10月
2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 おすすめキーワード(PR)
ファン
|