11月17日(金)
気がつくと、インドから帰ってきて既に1週間が経過し、そろそろ記憶も衝撃も薄れてきたのでインド体験記は今日でおしまいです。締めくくりの総括編は小ネタ集形式でお届けします。 …それにしても総括編って…自分でつけておいて何だけど、60年代全共闘世代みたいだな。 ①インド人と英語 以前の日記にもちょっと書きましたが、今回インドに行って自分の無知を痛感したのが、この英語問題。インドに行く前は「インドは多言語国家ゆえに公用語たる英語が共通言語」、「インドは米、英に次ぐ世界第三番目の英語圏」、「インドの英語話者は2億人」などの知識を聞きかじり、「英語が話せれば問題ないや~」と信じきっていました。確かに私が出会った学生や、外国人が多く訪れる観光施設やホテルの従業員は程度に差こそあれ英語を話していました。けど、その一方、タクシー運転手の一部、大半のオートリクシャーの運転手、私が泊まったゲストハウスの従業員などは英語が話せない人も多かったです(簡単な単語は理解できる)。考えてみれば、インドの総人口は10億人、例え2億人、いや3億人の英語話者がいようとも、それでも残り大半の人は英語を話さないのです。インドでは「どれだけ英語を話せるか、どのような英語を話すか」は、その人の出身クラス、教育レベルを如実に物語っています。英語を話せないと就職機会が非常に限られてしまうのがインドの現実です。経済成長真っ只中のインド、子供の英語教育に力を入れる家庭が多いようで、「英語を話す/話せない」という差の生み出す経済格差はこれからも広がる一方だと感じました。 ②「インド疲れ」の癒し方 呼吸するをためらうほどの大気汚染(鼻の穴を拭いてみると真っ黒・笑)、ひっきりなしに続く騒音、どこに行っても人、車、動物の洪水-これらが「インド疲れ」となって襲ってきたら、一端インドらしさから離れた空間に行ってみることをオススメします。私は滞在中に一度友人と高級ホテルの一つハイアットを訪れました。ロビーに一歩入るとそこは豪華かつモダンな空間。多くの人が行きかうものの、喧騒はありません。同じく「インド疲れ」を感じていた友人の第一声は、「静かだ…ずっとここにいたい」でした(笑)。でもここは1泊300ドル以上、私たちにそんな余裕はないので(笑)、向かったのはホテル内のbeauty salon。そこでヘッド・マッサージ(オイル使用)、フットケア(ペディキュア+膝下マッサージ)をしてもらいました。清潔で明るい室内、身のこなしから技術にいたるまでプロフェッショナルなマッサージの方、はぁ極楽でした…。これで料金約4000円、インドの相場から考えるとものすご~く高いですが、でも値段じゃないんです、空間重視なのです。その後はホテル内のレストランで食事。そして「う、帰りたくないよ~」と言いながら「ヤモリ部屋」へと帰ったのでした(苦笑)。でもこれですっかりリフレッシュできて、「よし、また明日からインド人と闘うぞ!」という鋭気が養われました(笑)。旅の途中、疲れた時は心身を休ませることは大切です。 ③旅のスタイル インドほど旅行者の間で旅のスタイルに差が出る国はないと思います。広大なインドを低予算でできるだけ長く旅するバックパッカー、安全面や利便性からツアーに参加する人。私も若かりし頃は旅を安く仕上げることを優先したり、「観光客は行かない所で、地元の人とふれあう」というこだわりがありました。バックパッカーの特徴である「旅の苦労話を武勇伝として話す」ということもしていたと思います(は、恥ずかしい…)。だけど、今回インドで自分の求める旅のスタイルが変わったことを実感しました。せっかくの旅だからこそ、できるだけ嫌な思はしたくない。最終的に自分の身を守るのは自分自身だけど、それでもできる限りの安全と便利さはお金で買いたい。旅先の文化や伝統に十分敬意を払うけど、それでも自分がそこに「適応」しなければならないことはない(どんなに地元の人と同じように振舞ってみても、地元の人から見ればバックパッカーもツアー参加者も同じ、時間がくれば去っていく旅人ですし)。バックパッカーはとかくツアー参加者をバカにする傾向があるけれど、どちらが良いのかなんて言えないはず。お金をかけたからこそ得られる体験も旅にはあるし、人それぞれ自分が旅に求めるものに見合う旅のスタイルを考えればよい-などと、これkらの旅のスタイルについて考えさせられました。まぁ、私の場合単に年を取って、もうハードな旅をこなせるだけの体力的がなくなっただけなのですが…。 今回のインド滞在こちらではご紹介しきれないくらい細々したトラブルの連続で、残念がらまたインドに行きたい!とは思えませんでした。でも、もし私がもっと若くて体力も負けん気も強かった時にインドを訪れていたら、インドに対する印象も、インドを旅する楽しさも違っていたのかもしれません。もしインドに行きたいな、と思っていらっしゃる人がいれば、一刻も早く、生気みなぎるうちに、どうぞ。 本日の一枚: インドの道端で売られているスナック。私のお気に入りの一品ですが名前は不明(笑)。 ![]() 果物(梨、バナナ、パパイヤなど)と野菜(きゅうり、いもなど)をスパイスと一緒に炒めてあります。小腹が空いた時につまむのに最適。果物や野菜は全て皮をむいてあるし、しっかり火が通っているので、衛生面も「比較的」安心です。 食べ物の衛生と言えば、この広告↓。 ![]() 数年前、インドではコカコーラ製品から高濃度の農薬が検出され、一時販売が禁止されました(原料の水が農薬で汚染されていた)。今年もNGO団体から同様の指摘があったようですが、広告では製品の安全性が訴えられています。インドではコーラも油断ならないらしい…。 2006年11月15日(水)
今日は昨日のデリー観光編に続き、ちょっぴり長いアグラ観光編をお届けします。 今回のインド訪問の一番の目的が学会報告だとすると、次の目的はズバリ、あのタージマハールを見学することでした。これが初のインド行きとなる私、「世界で最も美しいと言われているタージマハールだけは絶対に見とかんと!」と息巻いていたのです。タージマハールはデリーから300キロ弱ほど離れたアグラという街にあります。アグラは16世紀にムガール帝国の首都として栄えていたため、タージマハール以外にも見学施設がたくさんあります。 デリーからアグラへは毎日一往復特急(片道約2時間)が走っていますし、デリー発のアグラ日帰り観光ツアーなども一杯あるのですが、私は友人7名とタクシーを貸し切ってアグラへ向かいました。学会で知り合ったインド人の先生から紹介してもらったタクシー会社にお願いしてみると、時間貸しなどではなく8人乗りのバンで1キロ=9ルピー=約25円(ガソリン代込み)の計算になるとのこと(普通車だと1キロ=7ルピーらしい)。さらに今回のアグラ行きには学会のお手伝いをしていたインド人大学院生が、案内役を買って出てくれました。学会最中に地元の研究者や学生と仲良くなって、後々色々案内してもらえることって、意外と多いんですよ~。観光地での駐車場代金、運転手さんやガイド役の大学院生へお昼をご馳走したり、チップをあげたりしても、最終的に一人頭2500円ちょっとでアグラ行きが実現しました。時間帯や行き先なども自分たちの自由にアレンジできるし、人数さえ集まればタクシーを借り切るのが一番経済的かう効率的だと思います。 さて、デリーを早朝6時に出発してアグラに到着したのが午前11時。私たちが一番最初に向かったのはアグラ市内からやや離れた所にあるFatehpur Sikri、「勝利の都」と呼ばれるムガール帝国第3代皇帝アクバル帝の作った都の跡地です。アクバル帝はここに都を遷し、約5年をかけて広大な都城を建築しました。 ![]() 上↑の写真は現在Fatehpur Sikriの入り口となっていブランド門。高さ53メートルもあります。この門が象徴するように、とにかく壮大な建築物がずらりと並びます。下↓の写真は皇帝の謁見の間にある巨大な柱の写真です。 ![]() 何がスゴイって、これ一枚岩に彫刻を施してできた柱なのです。もともとどれくらい大きな岩だったのでしょう。柱一つとってもスケールの大きさが感じられます。都内部の数多い建築からはイスラム様式、ヒンドゥ様式だけではなく、木造の仏教寺院(奈良の唐招提寺に良く似た建物があった!)のような意匠も随所に見られて、当時のムガール帝国の領土の広大さに思わず思いを馳せます。このほかモスクから皇帝・妃の浴場(妃の浴場の方が広かった・笑)、果ては皇帝お気に入りの象のお墓…というよりは塔など多数の建築が残っています。これだけ当時のムガール帝国の繁栄ぶりを象徴するこの豪華な都、実は実際に使われたのはたった14年のみ。理由は水不足で、この都城を捨てて他の地へ移るしかなくなったそうです。…多分世界史上に残る一番の無駄遣いだと思います。 その後、向かったのはアグラ城。これもまたアクバル帝の時代に建てられました。これもかなり大きなお城なのですが…正直いうと、Fatehpur Sikriを見た後だと、あまり感動に欠けるかも。私の場合、デリーでレッド・フォートというお城も観てしまっているので、「んーなんだか、どれもおんなじに見える」という感想が湧き上がってきてしまいます。が!このアグラ城、見逃せないポイントがあるのです。それはアグラ城内にある「囚われの塔」↓。 ![]() ここでちょっとアグラ城とタージ・マーハールにまつわる、悲しい愛のお話を…。 ご存知の方も多いように、タージ・マハールはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが最愛の妻ムムターズのために建てたお墓。世界で最も大きく、最も豪華で、最も美しいお墓なのです。ムムターズを心の底から愛していたシャー・ジャハーン、自分の死後のためにタージ・マハールの隣りに自分のお墓を建設するつもりでしたが、そんな彼の思いは適いませんでした。彼の子供たちが後継者争いを起こし、そのうちの一人後の第6代皇帝となるアウラングゼーブが兄弟全てを殺し、自分の父シャー・ジャハーンを幽閉し、帝位についたのです。そしてシャー・ジャハーンが亡くなるまでの8年間幽閉されていたのが、アグラ城内にある「囚われの塔」です。 ![]() 上↑はその「囚われの塔」から見た眺め、ヤムナー川の遥か遠くにタージ・マハールが見えるのが分かりますか?当時は現在のように大気汚染などなかったから、もっとはっきり見えたとは思いますが、それでも遠い距離です。シャー・ジャハーンは亡くなるまで愛妃が眠るタージ・マハールをここから見つけ続けていたそうです。自分が作ったお墓なのに、遠く眺めるだけしかできなかったなんて、何だか切ないですよね(涙)。 そして、アグラ観光最大の目玉、オオトリはもちろんタージ・マハール。私たちが訪れたのは日曜の、ちょうど満月の夕方だったので、大混雑していました。タージ・マハールの入り口では持ち物の厳しいチェックがあります。何でも数年前にテロの標的になったことがあったらしく、それ以来厳戒態勢が引かれているらしいです。セキュリティーではインド人用のブースに長蛇の列ができていましたが、外国人には外国人専用の入り口があり、そちらは空いてました。ま、高い入場料を払っているのだから、それくらいのベネフィットは与えていただかないと…。 しかし、ここで問題が発生。今回一緒にアグラを訪れた仲間のうち台湾人の男性が、バックのなかにあったある物のせいでセキュリティーで止められてしまったのです。ある物とは…金属製のお箸(韓国のお箸のようなもの)と漢方薬。箸は衛生上の観点から台湾からマイ箸を持参、漢方薬は生姜や葛根湯を主体とした粉末で、風邪予防のためにとインド滞在中毎食後に飲んでいました。でもそんな中国四千年の歴史も、インドのセキュリティーチェックの人から見ればブキミなシロモノ。なんと「これは火薬だろ」と尋問されてしまったのです(笑)。この火薬と金属製の棒2本(お箸のこと)を電極にして、あとはそこに電流を流せば(携帯電話で応用可)、簡易爆弾のいっちょあがり!というわけです(ま、理論的には、ということですが…)。下手したら「テロリスト」の疑いをかけられて、連行されてもおかしくない深刻な事件だったのですが、マイ箸と漢方薬という組み合わせがなんともおかしくて、不謹慎にも見ていて噴出してしまいました。←なんとトモダチ甲斐のないヤツなんだ。 ![]() 夕暮れに佇むタージマハール。あまりの華麗さにただただその姿を眺めていました。「インドに来て良かったな」と初めて思った瞬間でした(そして最後の瞬間でもあった・笑)。 2006年11月14日(火)
インドの愚痴ばかり書き連ねるのもなんなので、今日は観光のお話も少々。 学会の2日前にデリー入りした私は、学会が始まる前日、一人でデリー市内観光に出かけることに。実は空港にあるインド政府観光局の案内所で、観光局主催のデリー一日観光ツアーのパンフレットを仕入れていました。ツアーは途中一時間のランチタイムを挟んで朝8時から夕方5時15分までかけて、ニューデリーとオールドデリーの見所を英語を話すガイドさんと回ります。ツアー参加料は一日で一人300ルピー、日本円にして880円(1ルピー=2.8円の計算)と激安です。が、この安さには理由がありまして、観光施設の入場料はその都度個人で支払うのです。 というのも、インド国内の政府が管理する観光施設ではインド人料金と外国人料金の二つが設定されています。例えば、デリーの観光名所の一つラール・キラー(別名レッド・フォード)と呼ばれる17世紀半ばに建てられたムガール帝国のお城はインド人料金が5ルピーのところ、外国人料金は100ルピー(国籍問わず)。かなりの差なので、インド人と外国人の両方が集まる観光ツアーなどで、施設入場料を事前に料金に含むのは難しいのでしょう。ちょっと横道にそれますが、外国人はドルでの支払も可能なのですが、為替レート(?)がかなりアンバランスなのです。大抵の施設の入場料は100ルピーもしくは2ドル、それ以外の所では250ルピーもしくは5ドルと設定されています。でも1ルピー=2.8円、1ドル=120円(両替手数料込みの実質売買レートだとこれくらい?)だとすると… 入場料100ルピー=280円、2ドル=240円 ドル建ての方が40円オトク 入場料250ルピー=700円、5ドル=600円 ドル建ての方が100円オトク これはインド政府のドル獲得作戦なのでしょうか?それとも「外国人料金、ちょっと高く設定しすぎちゃったかな~、せめてドルを持ち合わせている人にはオマケするか」というお情けなのでしょうか?いずれにせよ、ちりも積もれば山となる、これからインドへ行かれる方は事前に日本で若干のドルをご用意しておくのをオススメします。 さて、肝心のツアーの感想ですが、私が参加した時はムンバイから来たインド人のご年配のご夫婦と、コルカタから来たインド人のご家族(ご夫婦に14歳のお嬢さんと11歳の息子さん)とご一緒でした。みなさん、外国人のしかも女性一人で参加していた私にとても親切にしてくださいました(そうなんですよ、インド人は別に悪い人ばかりではないのです!)。特にどちらのお父さんも、各地でその背景となるムガール帝国の歴史やヒンドゥ文化、イスラム文化などをかなり詳しく解説してくださり、本職のガイドさんの話よりためになったくらいです(笑)。ツアーで訪れた先は、上↑でも少しお話したムガール帝国時代の広大なお城レッド・フォート、あのタージ・マハールの原型ともなったイスラム建築の代表ともいえるHumayun’s Tomb、デリー市内には数少ない典型的ヒンドゥ寺院の一つLakshimi Narayan Temple、技術史的にはとっても面白い18世紀に作られた天文台Jantar Mantarなどなど、とかく「デリーは観光地としては面白くない」と思われがちですが、それでも狭い市内に思ったより見所が満載でした。 あちこち訪れた中でも一番印象に残ったのが、Qutb Minarと呼ばれる13世紀の奴隷王朝(マムルーク朝)時代に建てられた高さ70メートルほどの塔です(元は100メートル)。 ![]() マムルーク朝はイスラム王朝で、この塔はヒンドゥ教徒を征服した記念に建てられたそうです。写真では見えにくいですが、外壁にはコーランの文字を模った彫刻がびっちりと施されています。さらに面白いのがこの塔に隣接して建設されたインド初のモスク。破壊したヒンドゥ寺院からでた廃材(?)を活用して建設したらしく、あちこちでヒンドゥ寺院の意匠などが残っているのです。 ![]() 首の取れたヒンドゥの神々たちが今でもひっそりとモスクの柱を支えています。現在のエコロジーの観点からすれば、イスラム文化のリサイクル精神に大いに共鳴しなくてはなりません(笑)。それに残念ながらデリーは新しい街で伝統的なヒンドゥ文化が残る建築物がほとんどないので、こんな形であれヒンドゥ文化の継承を目にできるのはおもしろいものです。…やっぱりカジュラホに行きたかったな…でも、もう一度インドに戻る勇気はない。 本日の一枚:レッド・フォート内のモスクを飾るタイル。 ![]() やはり同じイスラム文化なのか、イスタンブールで訪れたモスクで使われていたタイルの図案と似ているところがありました。 2006年11月13日(月)
今回宿泊先となっていたのがネルー大学のゲストハウス。今までの色々な学会やカンファレンスに参加した経験から言うと、大学のゲストハウスというところは可もなく不可もなく。高級ホテルのような豪華さはもちろん望めないけれど、地方の駅前にあるビジネスホテル並みの快適さは整っている。門限があったり細かな用事をお願いできるフロントの人がいないけれど、留守中の盗難や他の宿泊客とのトラブルを心配する必要がない(海外の場合、これが重要)。事前にホスト役の先生からは「エアコン、洋式トイレ、お湯の出るシャワー、テレビつきのシングル・ルーム」が与えられると聞いていました。インドのホテル事情から考えると、☆☆☆☆クラスの設備なのだそうです。下↓の写真が滞在したゲストハウスです。エントランスにはブーゲンビリヤが咲いていて、その他観葉植物の鉢植えも置かれたりして、ちょっとしたリゾート施設を思わせる概観ですよね?でもその実態ときたら…。 ![]() レセプションで鍵を受け取って、自分の部屋のドアを開けると…まず目に飛び込んできたのは壁に貼りつく3匹のヤモリたち。これがヤモリじゃなければきれいと言えないこともない薄いピンクの体に、真っ黒な目だけがギョロっと浮き上がって見えます。私は田舎育ちではないので、今までヤモリと同居はおろか同室さえもしたことがありません。それなのにそれが一挙に3匹。私の方がマイノリティーじゃありませんかっ!って、1匹でも気持ち悪くて我慢できません。速攻でドアを閉め、レセプションに戻り、半べそをかきながら「部屋にヤモリが三匹もいる!」と訴えます。けど、レセプションのオヤジ、「あー、大丈夫、何もしないから。」と笑い飛ばすだけで、全然請合ってくれません。私が「部屋を替えて!」と訴えても、「満室」と言うだけです。しかも他のインド人従業員グループに、ヒンドゥ語で「この日本人、ヤモリごときで泣いてるんだぜ~」と話したようで(言葉が分からなくても雰囲気で分かった!)、クスクスと笑いの的にまでされる始末。…無言のままヤモリ部屋に戻るしかありませんでした。 ヤモリ以外にも、部屋は問題だらけ。まず、ここのところ使われていなかったのか、部屋中埃が蓄積されています。荷解きするのがためらわれるほどです。日本から持参した抗菌ウェットティッシュでライティング・デスクやベット横のテーブルなどを拭いてみると、真っ黒になります。バスルームも汚れが目立っていて、私のものではない体毛が落ちています。レセプションに掃除するように言いに行こうかと思いましたが、さっきのヤモリの一件で「…あのオヤジに言ったってどうせムダだ。また'No problem!'と笑われるだけだ」という無力感に支配されます。「日本人があれこれ衛生に小ウルさ過ぎなだけで、インド的には掃除はバッチリ、No problemな範疇かもしれない」と何とか自分を納得させようとします。 次に部屋の中央に置いてあるベットカバーをおそるおそるめくってみます。白のシーツと枕カバーが掛けられていたのですが、これもどう考えても清潔とは言えないシロモノ。いえ、誤解のないようにお伝えしますが、ちゃんと洗濯はされているようなのです。なのですが、あちこちシミだらけ、しかもところどころ破れているし…。もう何年も使い古されているようでした。バスルームにおいてあるバスタオルも同様。恐らく購入時はキレイな青色をしていたと思いますが、今や灰色がかった水色。端々がほつれているし、生地全体も薄くなって手触りもごわごわです。しかもかび臭い(涙)。シーツといい枕カバーといいバスタオルといい、これが自分の素肌に直接触れると思うとゾッとします。「こんなことならユースホステルみたいに最初からシーツとタオル持参のこと!と言ってくれたら良かったのに…」と誰に言うともなく愚痴がでます。 それでもここに宿泊する以外に選択肢はありません。私は観光に来たわけではないのです(・・・って観光も大きな楽しみなんですが・苦笑)。色々なことに目をつぶりながら、とりあえず夜も遅いしシャワーを浴びることにしました。備えてあったバスタオルはバスマットとして使用し、持参したハンドタオルで体を拭きます。そしてTシャツに着替えてしばらくうろちょろしていると…すぐに体に異変が起きました。体中のあちこちが痒いのです!慌てて痒みのある箇所を見てみると…蚊でした。ほんの短時間、シャワーを浴びて5分か10分くらいの間に、全身合計10箇所も喰われていたのです(涙)。気がつくと部屋のあちこちに蚊の姿が…恐らくヤモリの動向に細心の注意を払っていたので(涙)、蚊の存在が目に入らなかったのでしょう。「マラリアやテング熱に罹ったりしたくない!」という恐怖から蚊を捕まえようとしますが、3匹捕まえても血を吸った形跡が見つけられず、一体何匹の蚊が部屋にいるのが検討もつきません。 …その晩は、私は完全防備で眠りにつきました。まずベットを部屋の天井ついていたファンの真下に移動させ、ファンは夜どおし最強のまま回しつづけます。その風でベットに蚊が近づかないようにするためです。さらにヤモリ対策のために部屋中の灯りも付けっぱなし。ファンを回しっぱなしにして寝ると私が風邪を引いてしまうので、日本で着ていた厚手の長袖長ズボンをパジャマ代わりに着用します。靴下も履いてズボンの裾は靴下に中に入れ込む慎重さです。こうすると、万が一毛布から足が出てしまっても蚊が入り込む隙間がないし、それにシーツが清潔ではないので少しでも肌を露出させたくありません。枕カバーもお世辞にもキレイとは言えなかったので、その上に自分のTシャツを広げ、さらに顔の上には持参した風呂敷を2枚重ねて広げました。電気をつけっぱなしにするのでまぶしかったし、蚊から顔を守れるし、万が一ヤモリが顔に落ちてきても(きゃ~、考えるだけで鳥肌がっ!)精神的ダメージは最小限に留められます。誰かが見かけたらきっと異様に思ったに違いない寝姿だったと思います。でも次の日も部屋が改善されることはなく、結局インド滞在中、毎晩同じ格好で寝続けたのでした。 本日の一枚:大学キャンパス内のマーケットにあったお米屋さん。 ![]() 種類がとっても豊富です。次々に女性たちがやって来ては、気に入った物を必要な分だけ買って行きます。
2006年11月11日(土)
日本のみなさま、11月11日は電池の日でございます。街頭で日本電池協会(あるかな?)あたりが電池を配布しているのに遭遇するかもしれません。私はそれで何度か単4電池をもらったことがあります。え、なぜ11月11日が電池の日かって?…ヒントは日付を漢字表記にしてみてください。 さて、本日はインド体験記その2・交渉編。インドで交渉といえばそれはズバリ値段交渉。特に外国人には勝手に「外国人価格」が設定されることが多いので、値段交渉は避けて通れません。でも、道産子のワタクシ、これが大の苦手なのです。よく典型的な関西人のイメージとして、おばちゃんが「なーまけてぇなー」と値切っている姿が浮かびますが、私は「価格に納得が行かない→買わない」と考えてしまうタイプで、売り手とあれこれ交渉する手間がどうしてもメンドクサク思えてしまうのです。実際いくらがんばってもその労力に見合うだけ、そんなに値段が大きく変わるわけないし、もし変わるとしたらその店は適正価格を表示してない信用できない店だから買いたくない、という論理が働くのです。でも大阪出身の友人と海外旅行に行くと、全く言葉の通じない相手に電卓片手に嬉々として値切りまくっているので、値切ることを楽しむ人もいるんですよねぇ。…あなたのことですよ、Hもっさん。 デリーのインディラ・ガンジー国際空港に到着したのが31日の午後6時過ぎ。事前に学会のホスト役の先生から届いたメールには「空港からはプリペイド・タクシーを利用して大学のゲストハウスまで来てください。料金は300ルピーくらい。」と書かれていました。プリペイド・タクシーとは、まずタクシーカウンターで行き先を告げて、チケットを購入してからタクシーに乗車するシステムです。主に外国人観光客を狙ったボッタクりタクシーの横行を見かねたインド政府が数年前に始めたそうです。タクシー運転手には購入したチケットを渡すだけでお金のやり取りをしないのでトラブルは回避される、と当初は考えられたのですが…商魂(?)たくましい方々がそんなに簡単にあきらめるわけがなく、「運転手に頼みもしないホテル(旅行代理店、みやげ物屋)に連れて行かれた」、「依頼した到着地のはるか手前で下ろされた」、「到着してから追加料金を請求された」という被害報告が後を絶たないそうです。某『歩き方」にも「女性一人、しかも夜間の利用はなるべく避けること」などと注意書きがのっている始末。 …「避けること」と言われても、女一人での学会参加、しかも他に交通手段はなく、避けようがありません。仕方ないので空港内のカウンターで「ネルー大学の××ゲストハウスまで」と伝えると、290ルピーの請求。メールに書かれていた300ルピー以下の値段だったので、ぼったくりではないなと安心して、案内されたタクシーに乗りました。空港から走ること30分ほどで、タクシーはデリー市内南部にあるネルー大学の正門に到着です。到着してから分かったのですが、このネルー大学、キャンパスがものすご~く広大なのです。キャンパスのあちこちが森林になっていて、とても徒歩で移動できる広さじゃありません。ちょっとした国立公園を思わせる広さ、ミネソタ大学なんて目じゃないです。なのに、タクシーの運転手、正門前で止まったきり、全く動き出す素振りもなく、私を下ろそうとするのです!真っ暗な夜にスーツケース片手に右も左も分からないキャンパスで、どこにあるかも分からないゲストハウスを探したくなんてありません。 私が英語で××ゲストハウスまで行って欲しいとお願いすると、運転手はヒンドゥ語と思しき言語で何か答えます。ちょっと横道にそれますが、私の浅はかな思い込みでインド人の多くの人は英語が話せると思っていたのですが、それは全くの見当違いで、出身地や教育レベルによって英語が話せない人がたくさん存在するのです。この運転手も英語をほとんど理解していないようでしたが、私が乗車時に渡したプリペイドのチケットを指差しながらしきりに何かを言っています。私は空港のタクシーカウンターで「ネルー大学の××ゲストハウスまで」と告げていたのですが、チケットを確認すると行き先には単に「ネルー大学」としか書かれていませんでした。ま、運転手の言葉は理解できませんでしたが、言わんとすることは明確です。「ネルー大学までって書いてあったからネルー大学まで来たでしょう。もしこの先に行って欲しければ、お金払って」って、ことです。 内心「くっ、早速インドの洗礼を受けることになるとは…」と悔しさがこみあげますが、長旅の後で疲れていたのと、何といっても辺りが既に真っ暗だったので、言葉の通じない相手との戦闘意欲など湧き上がりません。「いくら?」と口をついで出そうになりますが、いくらと聞けば相手は法外な値段を吹っかけてくるかもしれないし、そうなるとそこからまた値段交渉をするはめになります。さらに、私はたったいま両替してきたばかりで、持っているのは100ルピーと500ルピーの高額紙幣ばかり(両替した銀行の窓口で小額紙幣も欲しいと頼んだら、一言「ない」と言われた。持ってないわけないだろ!・怒)。唯一持っている小額紙幣は両替の端数でもらった20ルピー紙幣1枚だけ。「ここはこの20ルピーで決着をつけよう」と決心し、あくまでも強気な素振りで運転手に20ルピー差し出すと…運転手は「Thank you」と受け取り、再び車を走らせたのでした。もともとその20ルピーはチップとして渡すつもりだったので、結局同額なんですが。そんなこんなでやっと到着したゲストハウスは正門からさらに車で5分ほど。あの時、勢いで正門で降りたりしないで良かったと、思いました。 本日の一枚:アグラで遭遇した渋滞の様子。 ![]() インド滞在中、一人や友人たちとあちこちで歩くためにタクシーやリクシャーと呼ばれる三輪タクシーを結構使ったのですが、毎回毎回乗車前の値段交渉には本当にへきへきしました。事前に合意していても、上↑のような渋滞を理由にさらにお金を請求されることや、「チップ」を求められることも(苦笑)。 ![]() そんな渋滞など意に介さず、わが道を進むロバの姿。 2006年11月10日(金)
8日午後7時、長旅の末ミネアポリスの自宅へ無事帰宅。その後疲れきった体をひきずりながらスーツケース一杯の洗濯物に取り掛かり、お風呂で自分自身の体もしっかり洗い清めベットに入ったのが深夜12時前。そして…次に目が覚めると翌日の夕方5時半でした。途中一度も目覚めることなく、なんと17時間も眠り続けてしまいました。しかもトイレに行きたくなって目が覚めただけで、それがなければもっとイケたはず(笑)。でも、寝すぎの反動も大きくて、その後なかなか眠たくならず結局そのまま徹夜、現在既にお昼過ぎ…。今回の時差ボケはなかなか手強そうです(笑)。 さて、今日から数回に亘りインド体験記をご紹介します。とは言いつつ…いつもなら旅から帰ってきて早々、旅の興奮そのままに書き始めるのですが、今回に限っては筆が少々湿りがちです。インドは行く前から「すっかりハマってしまう人と、大嫌いになって帰ってくる人のどちらかに分かれる」と噂で聞いていたのですが、正直に言いますと、私は残念ながら後者に入ってしまいました(悲)。私はあちこち旅している方だと思いますが、今回のように途中で「もーいい、帰りたい!」と思ったことは今まで一度もありませんでした。どうもインドは今の私と肌が合わないみたいです。なので、最初にお断りしておきますが、これからお届けするインド編、ネガティヴになってしまうと思います。インド好きの方は不愉快に思われるかもしれませんが、でもこれが私の正直な感想です。ただ、一度もインドに行かれたことのない方に偏見を植えつけたくはないので、なるべく客観的な記述にしたいと思っています。 と、あれこれ前置きをしながら、先ずは今回のインド行きの主たる目的である学会のお話から。 今回参加したのはアジア医学史学会。5年前に設立されたばかりの、まだまだ規模の小さい学会です。私が個人的に親交のある研究者がたくさん所属しているので、この学会に参加するといつもは違う国で遠く離れている友人に会うことができます。またそこで報告することは友人たちに「最近、こんなことに関心があるんだよ~」とか「この研究、やっとここまで漕ぎつけたんだ」と知ってもらうことになり、それがお互いの切磋琢磨にもなるのです。私が一番楽しみにしている学会です。 今年の開催地はデリーのネルー大学。インドで開催される医学史関連の学会があまり多くないことと、そもそもどの学会でも開催国の参加者が一番多いので、報告者の半数以上がインドの大学かもしくはイギリスの大学で学ぶインド人研究者でした。その次が台湾(台湾はアジアの医学史研究の中心地)と日本からの参加者が次いで、ビザ取得が難しい中国や地理的に離れているアメリカからの参加者は少なめでした。そしてインド人報告者が多数を占める中にあって、さらに研究題材の大半を占めたのが、イギリス殖民地時代の西洋医学の導入に関する研究でした。いわゆるコロニアル・スタディーズがインドの医学史では主流のようです。なので…電気治療に関する私の報告、インドの研究者たちは「何それ?」と思ったことでしょう(笑)。それにしても今回改めて実感したのが…研究者のバックグラウンドとなる国や地域によって研究方法やアプローチ、プレゼンのスタイルまでもが違う!ということです。ここで言うバックグラウンドとは出身国とは限らず、多くの場合どこの国で研究者としての教育を受けたかということを意味します。それによって同じ国の同じ時代、同じ事象を扱っていても、研究の成果として見えてくるモノは違ってくるのです。 例えば、私は日本で学位を取って、今アメリカの大学に所属しているわけですが、日本とアメリカでそれぞれ1時間レクチャーを行うと仮定します。どちらでも同じ事柄について話すとしても、報告内容は全く変わってきます。まずアメリカだと細かい資料の紹介や分析内容の検討は、まず無視。そういう緻密さは論文に求められるのであって、レクチャーではあくまでも「聞いていて楽しい話」が評価されます。だから全体の話の流れとしては、「Aという事象があって、それとは一見すると全く関係のないBという事象もある。でもこの二つ、実はCという点で繋がっていて、さらにDという結果を生み出しのです!」という、映画のストーリーさながらの起承転結が求められるのです。聴衆の方も「くぅ~、ここでそう来たかぁ」という意外性のあるオチを常に期待しているし、それだけに報告者の話術も必要です。 一方、日本で細かい検証は無視して大まかな話の筋だけ並べ立てようものならば、激しくツッこまれること受け合い。「その根拠は?」、「資料の提示がない!」と指摘されます。なので日本の研究会などでは「レジュメ」と呼ばれる報告内容のアウトラインと、それに関する添付資料が必ず配布されます。そして大抵の報告者はまず「今日はDについてお話します」と冒頭で大まかな結論を説明してから、それに至るまでのC→B→Aという経過を配布した資料とともに細かく話すのです。アメリカの研究者からすれば、いきなりのネタばらしに見えるでしょう。でも日本の研究者の間では添付資料の豊富さ、分析の緻密さが何より評価される傾向があるのす。もちろん日本とアメリカだけに限らず、私の知っているなかでは、フランス、中国の研究者にも特色があります。そして今回学会で聞いたインドの研究者の報告からも独特なスタイルが発見できました。色んなバックグラウンドを持つ研究者が集まる国際学会ではそんな「お国柄」が垣間見れ、そして自分の研究スタイルをもう一度見直せる、そんな意義もあるのです。 本日の一枚:学会のランチタイムの一コマ。 ![]() ちょっとしたガーデン・ウェデイングみたいじゃないですか?料理はビュッフェ形式で、全てインド料理。道産子の私にとってはマトン・カレーが一番のお気に入りでした(ただ、その後何もかもがカレーに思えてくるのですが…苦笑)。
2006年11月8日...えっと、今日って何曜日でしたっけ?
itoaki@再び成田、です。本日早朝、無事インドより生還いたしました! インド滞在中はネット環境に恵まれず、日記を一度も更新することができませんでしたが、五体満足で生きております。インド旅行は生還という表現がぴったりくるほど、予想していた以上にかなりハードな体験となりました…(涙)。まずデリー到着初日の夜に、蚊に10箇所も刺されてしまうという悲劇から私のインド体験は始まりました。詳しい旅行記はアメリカ帰国次第、追々ご紹介していく予定ですが、もしこの日記の更新が滞ることがありましたら、itoakiは蚊から感染してマラリアかテンギ熱を発症したものと思ってください。マラリアの潜伏期間が約2週間、テンギはそれよりちょい短くて10日間…いや、冗談じゃなくて、マジで不安です(恐)。 今日は早朝7時前に成田へ到着し、その後近くのホテルでご休憩(いえ、いやらしい意味じゃありませんよ、デイ・ユースってやつです・笑)。現在はシカゴ行きの便を搭乗ゲートで待っているところです。しっかり仮眠を取ったので体調は良いのですが、それでもデリー~成田の後、当日に成田~シカゴに乗り継ぐなんて、やっぱりちょっと強硬日程だったかなぁと気が重くなっています。ま、フライト中とにかく寝るしかないですね。あ、もし成田近郊で休憩を考えている方がいたら、成田エアポーとワシントンホテルをおすすめします。私は朝7時から午後3時までの8時間の利用で、税・サービス料込みで4000円でした。空港内の仮眠室を1時間あたりで使用するよりも経済的だと思います。それに部屋はきれいでベットも広く、遮光カーテンもあって何よりもとっても静かだったので、ぐっすり眠れました。 それでは、次回はミネアポリスから更新予定です. < 前のページ次のページ >
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