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最近のprofessional life のことなど

2008年9月24日(水)

今日は最近の仕事のこと、professional life についてお話したいと思います。こちらに遊びにきてくださっている方の中には「そういえばitoakiって、結局ワシントンDCで何の仕事をやってるんだろう・・・」といぶかしく思っている方もいらっしゃるかもしれませんので。まだ残り3ヶ月ありますが、2008年は私のとって本当に不思議な年でした。当たり前のことなのですが「世の中には自分の力ではどうにもならないことがある」ということを思い知った年でした。私がDCエリアに引っ越してきたのは今年2月下旬、こちらにある某研究機関が手がける3年計画のプロジェクトにAssociate Researcherとして参加するためでした。採用通知を受け取った時点でミネソタ大学で2年ちょっとポスドクをしていて、自分の研究を行う傍ら定期的にクラスなども担当していました。そろそろまた新しいことにチャレンジしてみたい、大学とはまた一味違うアメリカの研究機関の雰囲気も味わってみたいと思っていたので、採用が決まった時はとてもうれしかったです(日本はこれで当分帰れないと不安にはなりましたが)。

ただタイミングのわるいことに、その時私はちょうどある事情からビザの切り替えをしている最中でした。採用が決まった段階でまだビザが切り替えられず、私はミネソタ大学以外で合法的に働けない状態でした。でも新しいビザのためのインタビューは3月9日と決まっていて、それさえ終わればすぐに合法的に働けることになっていました(これについては以前ちょっとお話しましたね)。採用が決まって浮かれていた私はすぐにでもそのプロジェクトに合流したて、ビザの手続きが終わる前に見切り発車でDCエリアに引っ越すことにしました。ビザが発給されるまであと1ヶ月ちょっと、その間は「無給ボランティア」として研究に携わり、その後正式な雇用契約を結べばよい、と目論んだのです。実際外国人研究者が他の研究機関に移る時に、手続きの経過途中で一時的に「無給」で研究に携わることはそんなに珍しい話ではないですし、その研究機関でも同様のケースが良くあるらしく、プロジェクトのリーダーは「後で無給で働いた期間のお給料をmatch upしてあげられると思う」とも言ってくれました。

でも、甘かったです。移民局の手続きに「絶対確実」なんて言葉は無いと分かっていたはずなのに、見切り発車を決めてしまったの私が間違いでした。こちらに引っ越して来て2週間後に、移民局から決まっていたインタビューの日程がキャンセルされたという手紙が届きました。詳しい説明は何もなく、日程はまた決まり次第連絡する、とのみ書かれていました。ものすごくショックでした。これで1ヶ月後には全て終わると思っていたビザの切り替えが、後どのくらいかかるのか全く見通しが立たなくなってしまいました。あと2ヶ月かかるのか、3ヶ月かかるのか・・・移民局に何度も電話をかけたり手紙を書いたりしましたがかえってくる答えは「決まり次第日程を知らせる」のみ、全くに役に立ちません(ちなみに手紙は無視されました・怒)。インタビューの事実上ドタキャンに「もう引越ししてしまったのに、どうしてくれるワケ?!」と怒りの気持ちで一杯でしたが、まぁ移民局とは所詮そんなもんです。自分ではどうすることもできず、ビザの問題を抱えたまま私はボランティアとしてプロジェクトに参加し始めました。研究自体はとても面白く同僚とも上手く行っていたのですが、2ヶ月ちょっと経った時だったでしょうか、HR(人事)から呼び出しがかかりました。「予算の関係上、誰かを正式に雇う必要がある。もうこれ以上あなたのためにポジションを取っておくことはできない」と。

プロジェクトとのお付き合いはこれでお終い、短かったです。プロジェクトのリーダは「ビザの問題が片付いたら連絡して。その時ポジションに空きがあったらまた一緒に働こう」と言ってくれましたが、あまり慰めにはなりませんでした。これで事実上私がミネアポリスを離れDCにやって来た意味がなくなってしまったのです。でも、幸いなことにすぐに「路頭に迷う」ようなことにはなりませんでした。一つには、契約期間の関係上、ミネアポリスを離れた後も8月末まで私は引き続きミネソタ大学のポスドクとして雇用されていて(仕事と言えばたまに論文指導のクラスの院生とやりとりしていただけですが)、お給料もいただいていました。まぁ、このお給料があったからそれまで無給でプロジェクトに参加できていたワケです。それに無念にもプロジェクトから離れた6月は、ちょうど論文の締め切り2本を抱え、さらにとある学会のcommittee memberとして学会の準備に奔走していた時で、多忙というか忙殺というか本当に混乱の極みにあったので、「この先どうなるんだろう・・・」と将来を憂い悩むような時間もヒマも全くありませんでした。今振り返ってみてもあの時は目の前に山積している仕事を一つ一つ片付けることで精一杯でした。

・・・・・・と、ここまで書いてみて、思いのほか話が長くなることに気がつきました。2月にまで遡って時系列的に書き連ねたからですね。肝心な点をまだお話していないので、この続きはまた明日upしたいと思います。
# by itoaki | 2008-09-24 22:58 | Washington DC編

Matin Puryear 展

2008年9月22日(月)

先週末National Gallery of Art(NGA) で開催されている『Martin Puryear展』に行ってきました。Martin Puryear はワシントンDC出身の彫刻家で、主に木とその他の素材の組み合わせが特徴的な作品をたくさん生み出しています。
Matin Puryear 展_a0049070_3213742.jpg

上↑の写真はNGAのサイトから拝借しました。本当は自分でも色々と写真を撮りたかったのですが、この展示に関しては写真撮影が一切禁止だったのです・・・。NGAは基本的に写真撮影OKの美術館なのですが(一部撮影不可の作品については一点一点タイトルの横にその旨注意書きがされています)、今回は一切認められずちょっと残念です。Martin Puryearの作品は今までミネアポリスのWalker Art CenterやシカゴのArt Institute of Chicago、ニューヨークのMOMAなどで鑑賞する機会があったのですが、これほどまとまった展示を観るのは初めてです。

使用されている木材は主に松や杉という比較的硬い木材なのですが、写真を観てもおわかりのようにまぁるい曲線を生かしたモチーフがとても多いのです。しかも一点一点が巨大なんですよね。あんなに硬い木材を一体どういう風に曲げているのか・・・独創的なデザインもさることながら、それを支える技術に敬服してしまいます。釘を使った作品もありますが、日本のはめ込み細工のようにつなぎの素材を一切用いず仕上げた作品もあります。また杉材を薄く切った木片を編みあげて作った巨大な鳥カゴ(?)のような作品もあり、これは昔懐かしい日本の竹細工を連想させました。どの作品も日本の木工作品のような温かみがあり、日本人ウケしやすいのではないかと思います(現に私にウケてますし・笑)。

近づくと松や杉の香りがほのかに感じられることもあって、何というか視覚だけではなく嗅覚も刺激される展示だと思いました(でも木材の臭いをかごうと作品に鼻を近づけていたら、警備の人に「そこ、近づかないで!」と叱られてしまいました・・・涙)。Martin Puryearに関心のある方はNGAのサイト<http://www.nga.gov/exhibitions/puryearinfo.shtm>からカタログをダウンロードできますので、どうぞご覧ください。お近くにお住まいの方は今月28日が最終日ですので、ぜひぜひお見逃しなく。

それにしても毎回NGAに足を運ぶたびに思うのですが、あんな規模が大きくて良質の美術館が入場無料なんですよねぇ。上にもあげたthe Art Institute of Chicagoで12ドル、MOMAにいたっては20ドルの入場料を課していますので、NGAがいかに太っ腹なのかがわかります。NGAはスミソニアンの一部でその予算の大半は国家予算から支給されていますが、2006年度で年間予算が5200万ドル、1ドル=105円として54億6千万円だそうです。魅力的な美術館を維持するのには本当にお金がかかるものですね。NGAを訪れるたびになんだかんだとギャラリーショップを覗いては本やらアクセサリーやらを買ってしまうのですが(今回ももみじをモチーフにしたネックレスを購入してしまいました)、この収益もNGAのサポートになる、芸術振興の一役を担っている!と思えば、私の散財もちょっと正当化・・・できますかね(笑)。
# by itoaki | 2008-09-23 03:21 | Washington DC編

Fat Lights?

2008年9月19日(金)

今日の話題はNPR(National Public Radio)から。現在マサチューセッツ州議会では「Anti Weight and Height Discrimination Act」が議論されているそうです。この法案はその名の通り体重や身長による差別を禁止することを目的としています。今まで各州のAnti Discrimination Law(差別禁止法)では性、人種、年齢、出自、性的志向、障害の有無などによる差別は禁じていましたが、身長や体重は含まれていませんでした(唯一例外なのがミシガン州)。しかし、この法案では太っていることや背が小さいことも人種や性差と同じく生物的要因(biologial aspects)だとみなし、「個人の選択の結果ではないことをもとに差別されてはならない」と定めるのだそうです。

こちらのブログでも再三話題にしてきましたが、アメリカではここ数年で成人の肥満率が30%を越えて大きな社会問題となっています。アメリカに来たことがある方ならお分かりだと思いますが、太っている人の数が尋常ではありません。しかもその太り方が、とにかくものすごく太っています。肥満が社会問題になるにつれ、太っている人に対する雇用差別も徐々に表面化しています。任務遂行上の能力に関係なくただ太っていることを理由に就職を断わられたり、解雇されることもあるようで、いくつか裁判にもなっています。また2年前ですが、United航空が乗客の太った女性から訴えられたこともありました。その女性が搭乗した便が重量オーバーで離陸できなくなり、機長が急遽乗客の中で次の便に移れる人を呼びかけたそうなのですが、その時CAの一人がその太った女性に降りてくれないかと言ったそうなのです。その女性によると、CAは他の乗客には個別にお願いしていなかったのに、彼女のところにだけわざわざやって来たとかで、太った乗客に対する差別だ、という訴えでした。ここまで行かないにしろ、太っていることでバカにされたり、能力を低く見られたりすることは、それが決して良くないこととは知りながらも、日常的に起こりうることだと思います。

ただこの議論で問題なのは、背が低いことはともかくとして「太っている」ことを人種や性別のように生まれ持った性質とみなしうるか、に尽きるでしょう。私個人的には極度の肥満はその人の選択に帰するのではないかと思いますし、実際のところ同じ理由からこの法案への反対意見も非常に根強いようです。支持団体によると「どんなにがんばっても痩せられない人もいるし、遺伝的な要素で太る人もいる、また薬の副作用で太っている人もいる」とのことですが、でも人間、ある程度の体重のコントロールは可能です。もちろん生まれつきに体格に差があるのは事実で、誰もがみんなモデルのように痩せられはしませんが、職場や雇用機会で問題になるほどとなればそれは極度の太りようでして、そこにいたるまでにはそれなりの期間がかかったはずです。その間に痩せる機会も払われるべき努力もあったように思います。もし薬の副作用で、例えば元々体重120ポンドの人が300ポンドにまで増えたとしたら、それは明らかに病気を治すために服用した薬で健康に支障が出ているので、それは投薬そのものを一度見直す必要があるしょう。

ちなみにこの法案では体重何ポンド以上なら「太っている」のか、身長が何インチ以下なら「背が小さい」のか示しておらず(「太っている」ことの定義づけなんてそもそも無理なのですが)、体重100ポンド(45キロ)の人も300ポンド(136キロ)の人も同じように、まぁ早い話が誰もが差別を主張できるそうです。マサチューセッツ州議会の議論の行方も、また他の州でも同様の法制定の動きがあるのかどうかは分かりませんが、もし「Anti Weight and Height Discrimination Act」が一般的になれば社会はどう変わるのでしょうか。そのうち太ってしまってはしごに登れなくなった消防士さんや、太りすぎて小さなパトカーの座席に納まらない警察官がいても差別を理由に注意・指導ができないなんてことが起こるかもしれません。また背の小さい人が「借りたアパートのキッチンの戸棚の一番高い扉に手が届かない。他のテナントと比べて不当な扱いを受けている」と大家さんを訴えたり、「どのパンツも長すぎて丈をつめなくてはならな。これは差別だ!」とアパレルメーカーを訴えたりすることがあるかもしれません(私もチビッ子なんで訴えてみようかな~)。こんなややこやしい事態になるよりも、いかに肥満人口を少なくするかを真剣に話し合った方が社会全体としてみても、また個人の健康面から考えてもずっと有益だと思うのですが・・・「Fat Lights」(太った人の権利)がcivil rightsとして真剣に議論されることこそが、アメリカが肥満社会の泥沼に陥ってしまっている証拠なのかもしれません。
# by itoaki | 2008-09-20 03:31 | Washington DC編

嵐の真っ只中

2008年9月16日(火)

現在、アメリカは二つの嵐に見舞われています。一つは先週土曜日にテキサス沿岸部を襲ったハリケーン・アイク。日本ではあまり報道されていないようですが、先々週のハリケーン・グスタフにひき続き、甚大な被害を残しています。アイクの直撃を受けたテキサス州ガルベストン、ヒューストンなどでは未だに180万戸で電気復旧の目処が立っていないようです。テキサス南部といえまだ真夏の暑さのはずなのに、停電が続いているとすると住民の健康状態、周囲の衛生状態がかなり心配です。今回のハリケーン・アイクの爪痕を表す象徴的なアイコンとなったのは、やはりヒューストンにあるJPモルガンのビルでしょうか。テキサス州で一番高い75階建てのこのビルはハリケーン・アイクの強風に遭い、南側の窓ガラスの多くが吹き飛んだそうです(NY Timesのこちらのリンクで写真が見られます)。目撃情報によると、割れた窓ガラスからは様々な物がまるで地上に降り注ぐように落ちていったのだとか。ビル周辺にはパソコンなどのある程度重い物まで落ちていて、アイクの威力をを物語っています。ビルの復旧に最低3ヶ月かかると見られていますが、テキサス経済が完全に立て直すまではもっと長い時間を要するでしょう。

そして二つ目の嵐はもちろん、リーマンブラザーズの倒産に端を発する金融不安です。リーマンブラザーズについては先週から既に「瀕死の状態」であることが伝えられていました。買収先として韓国の銀行の名前があがった時点で「あぁ、リーマン本当に終わっちゃうんだな」と思いました(韓国にはいくら弱体化したとは言えリーマンを買収できるような資金力のある銀行はないので)。後はアメリカ政府がどの時点でどの程度の救済策を発表するか、に注目が集まっていたのですが、今回のリーマンに関しては一切救いの手を伸べず、倒産させてしまったので、これにはびっくりです。しかもリーマン倒産のニュースとほぼ同時にバンカメのメリル買収のニュースも発表されて、混乱してしまった私は「えっ、メリルじゃなくってリーマンの間違いじゃないの?」と思ってしまいました。だってバンカメって当初はリーマン買収(救済)の一番手にあげられてましたからね。証券第4位のリーマンと第3位のメリルの財務内容では、バンカメとしてはまだメリルの方が救える=利益のあげられる余地があると判断したのでしょう。

ちなみに・・・どうして日本ではBank of Amerika のことを通称「バンカメ」というのでしょうか?普通に訳そうと思えばアメリカ銀行になると思うのですが、日銀=日本の中央銀行なのでアメリカ銀行だとアメリカ連邦銀行と間違えられるかもしれないからでしょうか?それにしてもバンカメって・・・(カメってなんだ?)。誰が最初に言い出したのか知りたいです。

今日のNY市場は昨日の急落から少しだけ持ち直して終了しました。とは言っても、本当にほんの少しですけどね・・・。私の買っているファンド(投資信託)も株も、まぁひどい状態です。見事にポートフォリオ全体が真っ赤っかですね(苦笑)。株に関しては私の場合、長期間塩漬けにするつもりでここのところの安値で拾ったものばかりなので、短期的な株価の変動で一喜一憂するつもりはないのですが、正直ファンドにはもうちょっとがんばってもらいたいですけどね(←お~いVanxxxxd、聞いてるか!)。まぁ私のようにまだ「時間」が味方についてくれる世代はいいですが、ここ数年以内に退職を考えているような人たちにとっては正しく老後の「生死」に関わる問題になっていると思います。日本の厚生年金や国民年金のような年金制度のないアメリカでは老後の備えは401kやIRAなどの自己責任による投資が中心です(一応Social Securityと呼ばれる社会保障年金もありますが微々たるものです)。あれよあれよいう間に資産内容が悪化してしまい、退職時期を先伸ばしたり一度リタイヤした後にもう一度再就職する人も多く、株式市場の低迷がいつまで続くのか不安は増すばかりです。

そんな金融不安の中、一筋の明かりも見えています。今日のNY原油市場は93ドルで終了、これは最高値を更新し続けた時期に比べると34%の値下がりです。原油市場が落ち着くことで、ガソリンや食料品を中心とした物価高にも一定の歯止めがかかるでしょう。もっと個人的なことを言わせてもらうと、航空運賃の値下がりも期待できます。最近の燃油サーチャージ、ホント天文学的数値です(怒)。来月の燃油サーチャージの改定は確か5月~7月の原油価格を基準に決められるので値下がりはすぐには期待できないのですが(かえってまた上がるかも)、その次の1月には値下がり圧力が高まるでしょう。実は来年春に一時帰国する予定なので、その時までには少しでも安くなっていてもらいたいです。それにしても株式市場、原油市場、穀物市場から逃げ出した投資マネーはこれからどこへ向かうのでしょうか?各国の債権市場は急激に値上がりしていますが、これは一時的な避難先に過ぎず、すぐにまたオイシイ話を求めてお金は彷徨い続けます。実際に人々が金融不安を口にしている今この時も、どこかで誰かは儲かっているのです。これを「不公平」と見ずに「自由な市場原理」として放置してきたアメリカが一体これからどこへ進むのか、大統領選も含めて今後の議論を期待したいです(投票できなくても税金は収めているので無駄遣いされたくないです)。
# by itoaki | 2008-09-17 06:50 | Washington DC編

ワシントンDC探訪シリーズ番外編:Chesapeake Bay Bridge

2008年9月15日(月)

先週末、ミネアポリスから友人Uさんが遊びに来てくれました。Uさんは日本の某大学に助教授としてお勤めで、現在はサバティカルでミネソタ大学に滞在中です。私がまだミネアポリスにいた頃、このブログ(旧「ミネアポリスつれづれ日記」)を見つけて連絡をくださったのがきっかけに交友関係が始まりました。ミネソタ大学にいる日本人研究者と言えば医学、バイオ系が多い中、Uさんは分野は違えど貴重な歴史研究仲間。お互いの研究関心や最近読んだ本、それに最近すっかり疎くなりつつある日本のアカデミアの現状、果ては共通の知人である研究者の噂話(?)まで、Uさんとは本当に話題が尽きず、ちょっとランチをご一緒するつもりがそのまま3時間も話し込んでしまうこともしばしばでした。・・・それにても3時間はちょっと長すぎですよね~一体何を話していたんだろ(笑)。

そんなUさんをご接待するべく連れ出したのが今日ご紹介するChesapeake Bay Bridgeへのドライブです。Uさんはもう何度もDCにいらしたことがあるようなので、今回はDCの定番である博物館・美術館などではなく日帰りドライブを計画することにしました。はるばるミネアポリスからやって来た日本人の友人を案内にするのになぜ橋なのか?」と思う方もひょっとしておられるかもしれませんが、これにはワケがあります。実はワタクシかなりの「橋好き」なのです。特に河口や海に架かる、長くてかつ両側の景色が見渡せる橋を車で渡るのが大好きです。もっと贅沢を言えば歩道がなくて、車道は片側1車線で幅の狭い橋が好きです。視界を遮るような高い防御壁などが設置されていないのも大切なポイントです。何て言えばいいのでしょうか、橋を車で渡る時のまるで水の上を疾走しているような爽快感が好きなんですよね(フロリダ・マイアミ旅行記その3でも橋についてアツク語っております)。前々からChesapeake Bay Bridgeはこんな私のこだわりポイントを全てクリアしていると聞いていたので、これはぜひ一度行ってみなくては!と思っていました。・・・「Uさんの接待」だなんて申しましたが、早い話がUさんに私の趣味にお付き合いしてもらったわけです(笑)。

まずはChesapeake Bay Bridgeの簡単な位置関係から。
ワシントンDC探訪シリーズ番外編:Chesapeake Bay Bridge_a0049070_7485732.jpg

上↑はメリーランド州の地図です(クリックすると拡大されます)。この地図からもお分かりのようにメリーランド州はチェサピーク湾を挟んでワシントンDCと接する東側とデラウェア州に隣接する西側に分断されています。Cheasapeake Bay Bridgeは州の東側と西側を結んで、西はメリーランドの州都Annapolisから東はKent Islandと呼ばれるチェサピーク湾に浮かぶ小島まで全長約4.3 mile(7キロ)にわたって続いています。カリフォルニア州サクラメント~ニュージャージー州オーシャンシティと北米大陸を横断するI-50の一部でもあります。

Chesapeake Bay Bridgeの面白いところは、東行き(Eastbond)と西行き(Westbond)の二基の橋が平行に走っているところです。
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この写真でおわかりでしょうか?一方通行二車線の橋のすぐ横に反対側の橋がかかっているのです。Chesapeake Bay Bridgeはさほど長くはないものの、その複雑な海岸線のために途中かなり蛇行するのですが、それでもぴったり寄り添い続ける二基の橋はまるでワルツを踊っているかのような姿です(ちょっと大げさか・・・)。元々現在の東行きの橋一基が片側一車線で1952年に開通したのですが、その後交通量が増加して渋滞が深刻化したことからその20年後の1973年に二基目が開通して、それぞれを西行き、東行きに定めたようです。「足りなくなったから(混雑したから)同じ物もう1本作っちゃえ」という大雑把と言うか大らかな発想、さすがアメリカです。
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写真は東側の終点Kent IslandにあるTerrapin Nature Areaという公園からみたChesapeake Bay Bridgeの姿です。遠目から見ると富士急ハイランドか長島スパーランドにあるジェットコースターにも似ています。ちなみにこの公園にはちょっとしたビーチがあって浅瀬の海岸が広がっていました。私たちが訪れたのは夕方5時近かったのですが、それでも水遊びをする親子連れや魚釣りを楽しむたくさんの人で賑わっていました。・・・とは言っても、水質汚染が深刻なチェサピーク湾、お世辞にも水が綺麗とは言いがたかったです(苦笑)。

橋を渡ってトンボ帰りするだけではさすがにUさんに失礼なので、Uさんご要望のメリーランド名物crab cakeを堪能していただくべく、Kent Islandにあるレストラン「Fisherman's Inn」に立ち寄りました。実は最初の計画では橋を渡る手前のAnnapolisで食事を済ませる計画だったのですが、うっかりしてAnnapolisで高速から下り損ねてしまい、そのまま橋を渡ってしまったのです(興奮しすぎ?)。そしてKent Islandで立ち寄った観光案内所のボランティアの方に教えてもらったのが「Fisherman's Inn」でした。で、これが結果的には大正解!で、とっても大当たりのレストランだったのです~。絶品だったのがCream of Crab Soup、今まで飲んだなかで一番おいしかったです。とっても濃厚な、有体に言ってしまえばカロリーが気になるほどクリームとバターがふんだんに使われているスープにも関わらず、それに負けずに蟹のダシがしっかりきいているのです。しかも蟹肉がてんこもり。大きな蟹の剥き身がごろごろ入っていて、スープだけではなく蟹の身も楽しめます。これでカップサイズで3ドル99セントのお手頃値段。もうホント今まで飲んでいたcream of crab soupが単なるcrab-fravored cream soupに思えるくらいでした。他のEntreeやcrab cakeもまぁまぁおいしかったですし、また機会があればあのレストランには行ってみたいと思います。

おいしいcream of crab soupが飲めて、海岸ではちょっとした水遊びもできて、それでいて私の住むSilver SpringやDCからKent Islandまでは車で約40分ちょっとの近場です。「定番のDC観光に飽きてしまった」、「DCの喧騒からちょっと離れたい」、そんな方にはゼヒゼヒChesapeake Bay Bridgeまでのドライブをお勧めしたいとおもいます。

というわけでitoakiのおススメ度:★★★★★ 
初めて星5つの満点が出ました!

私のような橋好きではなくてもきっとお楽しみいただけけると思います。
# by itoaki | 2008-09-15 17:39 | Washington DC編